切抜帳8より①(1973-1974)/サンケイ新聞「直言」欄連載

切抜帳8の時期、サンケイ新聞「直言」欄に13回連載しました。世の中の気になる事象に物申すコラムです。

一回目は「無人島へのすすめ」。手製飛行機の事故や、海岸での車の暴走について…。

「海の車あそびは、絶海の孤島でどうぞ。(略)ひとの自由と平和をおかしても、自分だけの自由をというふらちな考えー今日の諸問題には例外なく、この以て非なる自由主義がひそんでいるようにおもえる。」

二回目は「尊属殺人の重罰是非」。この記事が出たことにより、登志夫は衆議院法務委員会に参考人として出ることになります。これについては次回改めて…。

三回目は「テレビ・二つの顔」。テレビの功罪について。これは、現代のネット社会での問題と根は同じようです。

「(本人や家族が必死で隠そうとしたプライバシーを)さも社会派ぶった顔で取り上げる態度が気に入らないのだ。(略)(当事者は)場合によっては一生暗い影を背負わされるだろう。(略)かりに他の人には役立ったとしても、本人はどう傷ついてもいいというのか。戦時中ある本で読んだ『全体主義とは全体のために一人が犠牲になることではない。一人のために全体が犠牲を惜しまないことだ』ということをわたしは忘れない。これは当時のファシズムの全体主義を暗に批判したものだった。ひとりの人生を、みんなが自分のとおなじに大事にする気持ーそれがいま、いちばん必要なのではないだろうか。」他人を傷つけるようなことは決して言わなかった登志夫の人生観がよく表れている文章だと思います。

四回目は「灯台元の宝ものも」。当時人気の国立博物館「中国出土分物展」について、ただ貴重なものが並べられているだけでなく、展示の仕方が行き届いていると感心しつつ、日本の宝ものにもっと関心を寄せては?と提言しています。

五回目は「閉じられた世界」。菊五郎襲名のことから書いていますが、内容は大学の学問の場での陰湿さについてです。

「いまの時代によその教授のところへ出入りすると破門だぞとおどかして、縄張りの確保拡張をはかる教授もいるとか。(略)開かるべき学問の世界で、むしろ陰湿な形で根強く生きている結社的派閥意識ーそれが学問の自由な交流発達をはばむばかりでなく、”権威者”を生み、大学にしばしば虚の権威をもたらし、ひいては受験地獄や、免状さえ取れればといった、教育の歪みにまで及ぼしているとみるのは、極限にすぎるだろうか。」

登志夫は早大勤務の間ずいぶん一部の先輩教授たちから嫌がらせを受けました。ここでこう書いていることは、かなり思い切った彼らへの直言に感じられます。余談ですが、登志夫が早大での博士号の審査のために論文を出すのを先輩教授方に妨害され、東大に提出し無事学位を受けたのはこの翌年(昭和49年)のことでした。

六回目は「ヤン・コット氏に学ぶ」。ポーランドから来日の演劇評論家ヤン・コットさんとの対話から入り、学問について…。

「たとえば文楽歌舞伎にしても、ひと昔まえはそれを知らないことを誇りにしていた近代主義者が、外国人が認めたとなるといっぱしの日本演劇通に豹変する。同じ説でも日本人同士だと無視して、高名な外人がいうと、そうだそうだ全くだと雷同し、追従する。純粋なるべき学問の世界でさえ、新しい学説が出てもそれが独創的個性的であればあるほど認めようとせず、足をひっぱり、しかもほとぼりがさめるとさも自説のように平然とつかうなどはざらだ。」

これも余談ですが、登志夫はたまに特定の何人かの「評論家」を、「彼は昔は歌舞伎不要論者だったんだよ」とか、「著書は孫引きばかりだ」とか言っていました。登志夫に話を聞きにきて、出所を明らかにせず、自分の研究のように書かれた新聞を読んで、呆れ果てていたこともあります。

七回目は「海山と都会の憂鬱」。ここでは、車、ボート、ガソリンのことなどについて。車の数が10年前より5倍に増えたという時代、石油のこと、渋滞のこと、公害のことなどを心配しています。

八回目は「星に寄せる」。宇宙の研究や物理のことから、学問一般について…。

九回目は「チューインガムの連鎖反応」。そういえば、ガムが道に吐き捨てられていて、踏んでしまうこと、昔はよくありましたね。ごみの始末について、企業の汚物垂れ流しについて。

「自分だけ目的をとげれば、あとは知ったことじゃないという、無責任な、反社会的な心ーそれは日常だけにとどまらないのがこわい。たとえば学生運動ー集会だデモだとさわいだあとの落花狼藉は、お花見のあと以上だ。紙くずの山、ぶちこわされた机やイス、壁いっぱいにたどたどしく書き散らした檄文ー。それらを始末するのは、大学に行けずはるかに恵まれない境遇で、黙々とはたらく労務者たちなのだ。これでよくも、人民解放だ人権回復だと、恥も反省もなく叫べたものだと思う。」

余談ですが、登志夫はこの学生運動のため、大学での「夜回り」という見回りを当番で数年やらされていました。

十回目は「国際交流を考える」。文化の国際交流に必要なものはなにか。

十一回目は「不知火のひとびと」。水俣病について。「不知火座」という劇団の「苦海浄土」(石牟礼道子原作)を見たことなど。公害問題がピークだったころです。

十二回目は「顔と闇と」。いつの時代もある汚職と権力欲、金欲について。

最後、十三回は「国栄えて山河は…」。やはり、公害時代に生きる不安。子供のとき見た天竜峡の清流が無惨に変化しているのを見て、

「いまは国栄えて山河死す、か。といって、ここまできた物質文明は、不幸にもあともどりを許さない。科学には後退がないからだ。が、人間の心の文化はつねに荒廃と退化の危惧をはらんでいる。いまこそ、文明・産業圏と文化・自然圏との徹底分離をいそがねばなるまい。心貧しい見かけの繁栄は、やがて日本を死滅させるであろう。科学文明は、心の幸福を約束し、より豊かにする場合にのみ、人類にとって価値があるのである。」

同感!

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)