超虚弱児と相撲⑤
これは「写し絵」の大相撲集です。子供向けの遊び道具。使いかけですが大事に取ってありました。
遊び方については、可愛い絵や、英語での説明書きがあります。「写し絵」とは、今で言うシールです。昔の小学生雑誌の付録でも似たような、上から爪でこすってノートや教科書に写し取るタイプのシールがあったものです。これはプリント面を水に浸けてからひっくり返して貼るので字などは逆さまです。(試しにひとつやってみましたが、90年以上前のものなので、うまくできませんでした。)登志夫は病気の合間にこんな遊びをしていたのでしょう。
「虚弱児と相撲① ② ③」でいかにこの頃の河竹家が病人や亡くなる人が多かったかを書きましたが、その中で登志夫は何とか5歳になりました。
夜~黒い座敷に熱にうかされて寝ていると、襖が開いて母が寝息をうかがいに入ってくる。心配かけまいと私は目をつぶり、かすかな寝息をたてる。ほっとして母が去ったあと、闇を見つめていると、品川あたりからか、ボーッと汽笛がきこえてくる。と、不気味な笑いをうかべたお地蔵さんが、いくつもいくつも現れては消える…毎夜、そんな幻を見た。やがて胸の病で死ぬのだといつも思っていた。1日1日を生きるのが精一杯の、人の気ばかりかねて、センチメンタルで虚無的な、そのくせ妙に意地っ張りでしぶとい、子供らしくない子だったように思う。今でもふとそんな性格が屈折した形で潜んでいるように感じて、ぞっとすることがある。」(「酒は道連れ」)
「病床にばかりいた私は、マンガ本と絵とラジオの相撲中継とで育ったようなものだ。相撲の絵ばかり描くので母が担任にそういうと、柔道3段の折居千一先生は、『いいね、今に自分も太って丈夫になりますよ』と笑ったと言う。母にはそれがなぐさめになったらしかった。」( 「包丁のある書斎」)
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