切抜帳7より①(1971-1972)/本業関係

切抜帳7は、1971~1972年。昭和だと46~47年。登志夫46から47歳、いまから50年前です。こちらは1971年9-10月に開催の文化庁移動芸術祭・文楽公演プログラムの寄せた一文。小学生から中学生でもわかるように、平仮名を多用し、わかりやすく書かれていますが、内容は充実していると思います。限られた文字数の中に、必要十分の内容がわかりやすく、さらに文体も楽しんで読めると思います。

同年10月、小学館「日本古典文学全集」第10巻(義経記)月報。猿之助(現在の猿翁)との対談で、歌舞伎の中の義経について語り合っています。猿之助さんとは1961年のソ連公演で團子だった時代からの仲ですから楽しい仕事だったことでしょう。義経は歌舞伎の時代物はじめ、頻繁に登場する人物ですから、このテーマは、色々研究されているところですが、演者の目線と研究者の目線それぞれからの対談は面白いと思います。

1972年1月の国立劇場プログラム。「黙阿弥と三人吉三」。サブタイトルに「三世関三のことなど」とあります。「三人吉三」の初演時、和尚吉三の父伝吉を演じた「鼻の三十郎」と呼ばれた三世関三十郎について…。伊原敏郎の「明治演劇史」において、黙阿弥が最も上手な役者を問われた際、この俳優の名を挙げたほどの非凡な名優であったと書かれているが、それはこの三世ではなく、二世のことだったということを書いています。「ふとした誤記が後にひびいてくる歴史のこわさの一例」と言っていますが、昔の文献はとくに、役名や演目名をとっても、色々な表記があって改めて引用したり参考にしたりする際迷うことが多いと思います。「吉三」をきちざと読む間違い、「吉祥院」はきっしょういんかきちじょういんか、など、登志夫はやはり後世に間違いが伝わることを恐れていました。自分の著書でもいくつか誤植のまま世に残っているものもありましたから(最後の著書にも登志夫の没後、校正ミスを見つけました)、大事な時には、当然のことながら、ひとつの文献だけで進んでしまってはいけませんね…。

こちらは文化庁青少年芸術劇場プログラムより。「日本の新劇」。新劇というジャンルの歴史について。文芸協会、自由劇場からはじまり、築地小劇場を経て、戦中の弾圧、そして戦後、現状について解説しています。

こちらは同年1月の京都新聞「板の世界」の連載。この連載の8回分を受け持って、歌右衛門、松緑、鴈治郎、勘三郎、幸四郎、仁左衛門、梅幸、翫右衛門について書いています。

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)