登志夫の書斎
登志夫は前回ご紹介した成城から、神奈川県逗子市に、昭和47年に引っ越しました。この写真は、30年近く経った平成11年のときのものです。
書斎は広く、デスクがふたつありました。こちらはひとつ目のデスクです。南西の角で眺望抜群でしたが、気が散るのと西日が入るのとで仕事の時はカーテンを閉めていました。本棚の下段に並んでいるのが、ずっと紹介している「切抜帳」です。
下の写真は北西の角の、もうひとつのデスクです。ここは元々は1段高くした畳の和室風の場所でしたが、取り払って3メートル近くある1枚板の机を置いて、絵を書いたり資料を広げたりに使っていました。
50平米くらいはあったでしょうか。このほかに書庫が2部屋、包丁の研ぎ場などが別にありました
こちらは同じ頃の平成7年 6月18日号:「週刊読売」お宅拝見。
この記事の写真です。こちらは一階の、書斎の真下あたりに位置する畳敷きの日本間。この頃には脚の不調で正座ができなくなり、改造して腰かけて一杯飲めるようにしました。障子を戸袋の中にしまって、庭が見渡せるように。
こちらは、納戸を改造したカエルの部屋。
今はカエルたちは福島県にある「100年カエル館」に引っ越しました。いずれカエルのお話も…。
借景の素晴らしい、この頃改造した風呂。
昼は薄手のカーテン、夜はシャッターを下ろして。
リビングダイニング。
1番最初の写真と同じデスク。カーテンを開けると右手の窓に富士山、左手の窓に大島が見えました。
この書斎から見た風景を登志夫が描いた、「放送文化基金賞1998年」パンフレットの表紙です。
最晩年は持病の腰痛のため、劇場や病院などに通うのが大変になり、隅田川沿いのマンションに仮住まいしました。子供たちの健康のために越した逗子でしたが、今度は登志夫の体のために東京へ。それでよかったと思います。
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