繁俊と成城の家、昭和14年新築の頃

繁俊が昭和14年から昭和42年に亡くなるまでを過ごした成城の家をご紹介します。昭和初期の建築(演劇博物館を作った江口義男の設計)が面白いかと思います。
1939年、昭和14年6月に渋谷から成城に移転してから、昭和42年に亡くなるまで、繁俊はここに住みました。上は晩年です。新築祝いに弟から送られた瀬戸のブルーのテーブルと椅子に座って。これは後に登志夫が逗子に転居してからも、ずっと庭にありました。
上は、庭から喜多見方面を見渡した風景。下は雪景色の庭。
新築当時。70坪の平家なので1枚に映りません。下は西側斜面から、上の写真の左の書斎方面。
西南の角の障子を開けると富士山が見える繁俊の書斎。書庫としての大谷石の土蔵がすぐ横に建てられていました。
応接間。
お茶の間から庭をみる。ここはサンルームとして登志夫が結婚してからはその家族も使いました。
和室。
茶の間。サンルームと同じ部屋。
玄関。
お風呂。
台所。良子が嫁いだ頃、両親の手伝いにこちらの家にくると(隣の離れに住んでいた)、左のドアがお勝手口で、ご用聞きがきたりすると急いで出ようとして、この写真の手前にある低い長押で、よくおでこをガーンとぶつけたそう。
転居の頃の繁俊と家族。右はお手伝いの女性。昭和初期の、中流家庭の家族写真です。
当時の成城。お隣さんは空き地のはるか向こう。隣は田村正和さん一家、山本嘉次郎さんの家などがありました。
戦中、戦後ここで過ごし、晩年孫とともに。
庭の自然を愛した繁俊でした。

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)