ユネスコ研究員としての観劇記
中には、道具の絵なども。モスクワでみた芝居「かわいそうなマラート」の道具。この芝居は、「戦争の悲劇があらわには出ていないが、男女の愛と正しい生き方への絶え間ない進みというテーマは戦争をbackによく出ている」ということです。
最後は77、と思いきや、他の記録の手帳に続きがあり、、
81まで続いていました。なんでもあとでの仕事に役立つよう、必要な情報はもちろん、あらすじや感じたこともかなり詳細に書いていますが、最後の方はもうきっと忙しく、まとめて記録する予定が帰国まで時間がなかったものと思われます。
しかし、73本目まではかなり詳しく記録しています。
たとえば、こちらはドイツのレックリングハウゼンでの演劇祭で見た46本目の芝居について6ページにわたって記しています。この作品はこの年に日本でも出版された、原爆の父オッペンハイマーを扱ったキップハルトの問題作だったようです。オッペンハイマーは62歳で亡くなりましたが、この頃まだ存命中でこの手帳にも書いてあるように、プライバシーまでも描いたこの作品をめぐっては本人が提訴したようで、登志夫もこの種の上演については、疑問を感じていることがわかります。
この観劇記録は、まとめてなにかに発表したわけでもないし、自分の記録ということにとどまりましたが、折に触れて登場しました。たとえば、「かぶき曼陀羅」に収録の、「演劇界」での連載(2009年夏)では、
「(略)外国にも夏芝居はある。やや古い話だが、昭和40年に半年間、ユネスコ研究員として旧ソ連、フランス、旧西ドイツ、イギリス、アイルランド単身歴訪した。7月下旬から8月にかけてはドイツだったので、そこの夏芝居をかなり見ることができた。
主として野外劇だった。小さな鉱泉町の教会を利用した舞台で、客席は天井のない構内の空間に仮設されていた。結構雨の時もあり、そのためのテントも用意されていたが、怪しい時は傘か合羽を持参する。ある日は途中で降り出した。すると隣の男が傘をさしかけてくれた。夏でも冷えてくる。私は借りた毛布は半分彼の膝にかけ、双眼鏡貸したり…。こんなムードが、野外のフェスティバル・プレイの良さかもしれない。
この教会劇場では、ゲーテの『エグモント』、レッシングの『賢者ナータン』、クローデルの『繻子の靴』、シェークスピアの『夏の夜の夢』を見た。『夏の夜の夢』は映画監督として日本でも戦前から知られたウィリアム・ディターレの演出で、もう4年目だとのことだった。面白かったが、森の王と王妃がほとんど裸の全身を銀色に塗っていたのが、妙に目に残っている。
余談になるが、ここに滞在中でなお忘れがたいのは、ホームステイ先の主人の化学者と、医者だという妻の中年夫妻が、1日ドライブに連れて行ってくれたフィリップスタイルという町で見た、不気味な光景だ。山間のひそやかな街の一角。車止めの柵の向こうは、旧東ドイツであった。1歩出れば、どこからともなく弾丸が飛んできて射殺されると言う。なるほど、木陰には髑髏を描いた板が、音もなく立っていた。ベルリンの壁が崩れるのは、それから四半世紀後のことである。
夏芝居の話であった。そう、もう一つ、いかにも野外劇場らしかったのは、チェコとの国境に近い、ルイゼンブルクの夏芝居。フェルゼンラビリンツすなわち『岩の迷宮』とよばれる、自然の岩山と森を利用した文字通りの野外劇場だ。かつてゲーテも来訪したという、この国最古の野外劇場である。ここでブレヒトの『プンティーラ旦那と従僕マッティ』やネストロイの喜劇などを見た。
しかし、夏芝居とは言っても、演目は今あげたように、大抵古典の名作であって、特に夏季のために書かれたものではない。そこに日本の夏芝居との根本的な違いを感じる。」
この野外劇の頃は、腹痛や様々な症状に悩まされていて、まだ結石とわかる前のかなり苦しい時期でした。登志夫は随筆では触れていませんが、84歳でこの手帳を開いて随筆を書きながら、このユネスコの旅の苦難について色々思い出していたことでしょう。
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