12月、1月、2月の黙阿弥作品

今月の黙阿弥作品上演は、歌舞伎座第三部の「花競忠臣顔見勢」。忠臣蔵の大序やその外伝をミックスして、スピーディに見せていく新作ですが、鶴屋南北や黙阿弥の作をよいとこどりしているそうです。劇場も徐々にお客さんが増えてきたようです。それにしても、最近は大向こうのないのも当たり前になり、そんなに寂しいとも感じなくなってきました。歌舞伎座の大向こう解禁はいつになるのでしょう。マスクはしたままになるのでしょうけれど…。そして来月は…。

12月京都南座「三人吉三巴白浪」孝太郎 隼人 芝翫

2022(令和4)年は、 

1月歌舞伎座 「難有浅草開景清(ありがたやはながたつどうあけのかげきよ) 岩戸の景清」

 2月シアターコクーン 「天日坊」勘九郎 七之助 獅童
が決まっています。

1月の演目、黙阿弥の本名題は「難有御江戸景清」ですが、いつもは正月の浅草歌舞伎に出演する面々が、来年は浅草歌舞伎がないために歌舞伎座に出演するため、浅草を入れ込んだ新しい名題にしているようです。

この作品は、黙阿弥が七代目團十郎のために書いた、黙阿弥かぞえで35歳の時の作です。登志夫の「黙阿弥」にこの作品について書いている箇所があるので引用します。 

「(天保の改革で、贅沢をした罪で江戸から追放になっていた)七代目不在の七年間は、黙阿弥にとっても啼かず飛ばず、不如意の時代だったのだ。

新しい独立作への契機は御赦免のお達しが出た翌年、嘉永3年(1850)3月河原崎座に書いた「難有御江戸景清」(岩戸の景清)である。

七代目の江戸返り咲きを祝っての、”お目見得狂言”だ。

あの追放の日の約束を、いま立作者として果たせる。小品だが、謝恩の心を込めて書いた一幕であった。その自筆稿本が装幀されて、いま私の手もとにある。

景清を題材にしたのは、七代目が手鎖を受けたとき、十八番の『景清』を上演中だったからである。そのとき本物の鎧を使ったのが、追放の原因のひとつになったのだった。

こんどの『景清』は天照大神の故事になぞらえ、江の島の弁天窟から忍び出た景清が、名刀の力で世界の明暗をつかさどるという『だんまり』。

七代目の存在の大きさを示し、再来のおかげで江戸中が明るくなったことを祝うという作意であった。

黙阿弥にとっても、作者界に入って十五年の下積み習作時代の暗闇から、光明の世界へと開かれる、記念すべき作となった。」

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)