登志夫の結婚

いまから57年前、1964年、昭和39年10月14日に登志夫は2回目の結婚をしました。ちょうど東京オリンピックが開催された年でした。
招待客の中にはオリンピックの結果が気になって仕方ない人たちもいたようです。そのために司会者がニュースの結果を披露宴の最中に何度か発表したりしていました。
これは式の前に撮った写真です。このころはまだプロに頼んで披露宴の写真を撮るような事はなく、誰かしらが撮ってくれていました。そのためあまりいいのがないそうです。と言うのはその頃ニューフェイスの人気女優の藤村志保さんも招待客のひとりで、登志夫の友達たちが志保さんを撮るのに夢中だったようで、良子の写真は横を向いていたり、志保さんの後ろのほうに写っていたりという感じだったそうです。こちらはやっとちゃんと2人で写っている写真だそうです。

観世寿夫さんと野村万作さんが高砂を舞って下さいました。


遊玄亭玉介さんが獅子舞を披露してくれました。


こちらは、昭和54年の週刊文春に掲載されたふたりの結婚当初の写真です。「結婚」という欄で、なれそめなどを語るという内容です。まだ繁俊夫婦も健在で成城に一緒に住んでいた頃、こちらは離れの住まいです。

この記事で、ふたりの馴れ初めを語っています。登志夫の友人野村万作さんが、共立女子大の狂言研究会の指導をされていて、その発表会を登志夫が見に行き、そのときピンチヒッターで出た良子と出会ったようです。登志夫はここに書いてあるように、「カエルそっくり」と思って気に入ったように言っていますが、ふつうに見たら、良子の顔は全然カエルに似てなどいません。「イキの良さそうな」というのは本当で、今も声がよく通り、誰よりもリアクションがいいので、登志夫にとっては若さもさることながら、なにかと元気づけられ、この人となら明るい家庭を築けると感じたのでしょう。

こちらは文春掲載写真のアザーカットです。こちらの方がはっきり写っています。

登志夫の随筆にはずいぶん良子が登場しました。登志夫の第一随筆集『包丁のある書斎』に収められている「酒」という雑誌に掲載された随筆「かみさんと酒」からすこし引用します。ずいぶんのろけています。

「うちのかみさんは、ぜんぜん飲まない。

飲めないのである。いつだったか、まだアンプル入りカゼ薬が禁止されるまえ~通りすがりの薬屋へとびこんでチュウチュウ吸ったところ、トン死はしなかったが、数分後に酒呑童子の如く赤変し、フラフラしはじめたには、全くおどろき呆れた。(略)飲めず、全く興味も持たないが、しかし私の酒については、このかみさん、きわめて寛大である。なにしろ週に二度は大学の夜の部があって、必ず外食だし、芝居を見たり談会合に出たりも商売のうちとあって、ふだんは自宅で食事することは週平均二回、多くて三回ぐらいのものだ。おそい日は、どうせどこかで飲んでくるにきまっている。飲めば五、六時間はハシゴだ。十二時前に帰るのは不可能に近い。ほんとはさびしいらしいが、文句はいわない。出かけるとき、ちょっとにらんで『また明日かえっておいで』。午前様は覚悟しているのだ。殊勝なことである。つまりそれほど、私を信頼しているのであり、ということは、私が信頼さるべき人格・酒格の持ち主ということを、賢明にも看破した結果にちがいない。(略)

時折、何気ない調子でいたずらっぽく、『酔っているときのほうが好き』という。そして意外に、この言葉にはいつも実感がこもっているのだ。負いきれない仕事をいつも背負って、安まる間のない私の神経が、いくらかでも解放され、一個のヒトにかえるからだろうか。(略)

うちの山の神、深川っ子、二十四歳。結婚して、一年半になる。」

最後、結婚して一年半、とありますが、結婚後半年、翌年の5月から半年間、登志夫は歌舞伎訪欧公演文芸顧問と、ユネスコ研究員という仕事で家を不在にします。不在中の8月には子供が生まれます。良子は最晩年の繁俊の看護、介護も手伝ったりしましたが、繁俊が面白い冗談を言うのでいつも笑っており、「ほがらかさん」とか、おめでたいという意味でしょうか、「鶴子さん」とか呼ばれたそうです。若いお嫁さんと、孫もでき、河竹家の雰囲気はずいぶん明るくなったことでしょう。


結婚後数ヶ月の報知新聞のインタビュー記事には、仕事で深夜2時より早く寝ることがないため、朝はギリギリまで寝てがたがた出ていき、日曜日は外出など一切せず、来客はうんざり、とかなりはっきり答えています。これを読んだらお客さんもさぞ来づらいでしょう。それが狙いだったのか?

河竹登志夫 OFFICIAL SITE

演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)