一般短文切抜3 より
昭和38~40年の切抜帳です。この時期、登志夫はプライベートでは、良子と再婚し、訪欧歌舞伎に同行し、その間に長女が生まれるという大きな出来事がありました。まだ父の繁俊も病身ながらも存命中でした。
この38歳の登志夫です。この年にできた今もある日本生命日比谷ビルの日生劇場について書いています。当然ながら今と変わらないこの螺旋状の階段が、まだぴかぴか新品だった頃の写真です。
こちらは、報知新聞「ひとこと」欄。50年以上前の記事ですが、いまこういうことを女性に要望したら職を解かれかねませんが、正直な気持ちでしょう。
「女は女らしく伸び伸びしてほしい。ゆめゆめ、自然な愛きょうと恥じらいとやさしさまでも失わないでください。古臭い尺度から言うのではない。人類誕生の瞬間から絶滅のその日まで、それらは女性存在のあかしだからである。」
女らしく、男らしく、という言葉自体がもうタブーになっていますが、今も世の男性たちはなんだかんだ言っても、変らず同じような理想を内心秘めている、と思います。
こちらは朝日新聞「外野席」欄。この頃女性観みたいなコラムがいくつか続きました。大学の卒業式には、この頃もすでに和装が多数だったようで、登志夫は学生らしい姿でいいのでは、と提議しています。何を着ようとその人の美しさは内面からにじみ出るもの、と書いています。
こちらも「外野席」。
女性画家の絵を見に行った感想ですが、やはり女性への理想を綴っています。良子との結婚を前に、もしかして良子への願望を伝えていたりして、、?とチラッと思えます。
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