ソ連公演関連の記事
登志夫は、最初のアメリカ公演と、このソ連公演については、この後もずっと書いたり講演したりしました。すべて初めてのことで、色々なことが手探りで、最も困難で、刺激的なことばかりでした。登志夫が海外公演の「第一期」と位置付けたこの二つの公演と1965年の訪欧公演は、登志夫にとっての生涯の研究の上で、大きな体験的根拠となりました。松竹からの依頼という受け身の形で加わった仕事でしたが、それを断らず、自分に課された仕事を十分に果たし次へ繋げ、自分の糧としました。いつも、その話をするときは「俊寛」の十数回にも及んだ「ロックコンサート」のような拍手と歓声に包まれたカーテンコールのことを、熱を込めて話しました。登志夫にとっては、つい昨日のことのようにずっと鮮やかに残っていた素晴らしい光景だったのだと思います。
こちらはソ連から帰って10日後に「婦人文化新聞」に書いた「訪ソ歌舞伎から帰って」。お客さんの反応や、アメリカ公演との共通点について、現在のソ連について書いています。
こちらは「神奈川新聞」「東京タイムズ」への「舶来崇拝熱」。ソ連での人々の暮らしの印象から日本の舶来崇拝を思ったコラムです。
こちらは都民劇場の「歌舞伎通信」、「訪ソみやげ話」。
ソ連公演のあと、すこし経って1962年1月号「現代の眼」へのエッセイ。ソ連の印象について書いています。ソ連の人の暮らしぶりや考え方、国民性についてです。
こちらも翌年の5月「国際文化」に書いた「歌舞伎を通じての国際文化交流」という記事。ソ連とアメリカとの反応の共通点などについて、書いています。
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