訪ソ歌舞伎、登志夫の手帳より④

この写真は、モスクワの次の地、レニングラードで登志夫が撮影した写真です。下の写真は市民の姿ですが、彼らが持っているスイカ、当時ソ連では大変な贅沢品でとても高価だったそうです。

さて、訪ソ公演、登志夫の手帳も2冊目に入ります。2冊目は7月17日、「モスコー最後の日」から始まります。登志夫は大半の執筆を終え気が楽になったと書いています。この日は猿之助、歌右衛門とともに日本向け放送のラジオ収録をしています。ホテルを移動し、夜は文化省レセプション。

左ページには、レセプション後団長の部屋でのみ、本間団長と永山氏との論争があったことが。翌日はモスクワから第二の公演の地レニングラードへ空路で。「歌舞伎ソヴェートを行く」の登志夫の日記抄には、「午後九時夕食の後、劇場下見に行く。楽屋割その他に加え、花道設置につき金井、藤浪、相馬、永山、野村等先方と長時間折衝、徹夜にて理想のものを造る。」とあります。

そしてまた昼間はぎっしりと見学スケジュールが組まれています。

20日の初日の時間割や観客の反応も細かく記録。初日の式典の様子も書かれています。


21日は早速見学に。

23日、新聞劇評の内容です。これを竹柴金作さんが清書し、楽屋に貼ったと書いてあります。

このあたりから映画でもめていることがちょくちょく出てきます。文化省の命で、見学ツアーの様子なども含めた記録映画を撮ることになり、通常の舞台を撮るだけでなく、映画用にわざわざ撮影をしたいという希望が出され、それに対し、歌舞伎はアップで見るものではなく、客席からひいてみるものだから、客が入って、通常通り上演しているものを撮影するべきだという日本側との食い違いで難航しました。

24日は休演日、「ベテラン芸術家の家」という舞台芸術家のための養老施設を訪れています。日本でも、そういう施設を舞台にしたドラマが最近ありましたが、本当にこういう施設があったのですね。そのあとは歓迎パーティがあり、余興が2,3‥。登志夫も掛川節とやらを披露しているようです。

25日はプーシキン市を見学。スケッチしています。

28日、イサキエフ協会とロシア博物館を見学、記録映画も方針が決まり、だんだん撮影が進んでいます。左ページに、成駒屋の歯がうまくついたということ、とあります。細かい説明はないのですが、これについては、20年くらい前、歌右衛門のお弟子さんでアメリカ、ソ連と海外公演を共にした中村歌江さんの話を登志夫の次女が聞いたことがあります。こんな話でした。「ソ連公演の時よく出されたボルシチの肉が硬くて硬くて、あたしたちがそれを残すもんだから、(歌右衛門が)残さないで食べるもんだよ、と言ってちょっとムキになって食べたら歯が折れてね。それをセメダインでつけたんですよ。」ととてもおかしそうに笑っていました。この手帳を見て、このことだったのか、と思いました。セメダインと聞こえましたが、ここにはセメン、と書いてあります。歯のセメントだったのでしょう。夜には、永山部屋にて「太った男の誕生日会」。登志夫は浪曲を披露しています。

イサキエフ協会での記念写真。登志夫は後列右端。

そのあとは、31日に千秋楽、翌日は映画鑑賞という行事があり、2日は休養として買い物など。

3日いよいよレニングラード発。ホテル出発が夕方だったので、登志夫はこの日に前回写真を出したみみずくを買っています。普段は大きな重いものはお土産に買わないのですが、この時は猿之助が同じものを買ったとかで、登志夫も買ったようです。夜9時40分、レニングラードを離陸します。

機内で日付が変わり、4日午前零時過ぎにスヴェルドロフスク着、ノボシビリスク経由でハバロフスクに午後6時ごろ着きました。ハバロフスクに二泊し、一行で日本人墓地に参詣したり、めいめいフットボールを見に行ったり、アムール河で泳いだり、夜はサーカス見物や公園で涼んだりしています。

6日午前にホテルを出発、12時10分ナホトカに向け汽車が発車、7日の午前7時30分ナホトカ着、12時20分往路と同じモジャイスキー号にて出港。登志夫はこの船の中で一行全員の感想文を依頼し、集めるという仕事をします。

10日正午頃横浜港へ。やっと解散となり、翌日午後3時から歌舞伎座にて歓迎会があったということでした。

ソ連の手帳はこれで終わりです。ソ連公演については、当初から本にまとめたいという気持ちがあったせいもあり、登志夫の海外公演手帳の中でも、細かく記録されており、実際手帳の内容は次回ご紹介する「歌舞伎ソヴェートを行く」に役立っています。


帰国、船から降りる登志夫です。


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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)