訪ソ歌舞伎、登志夫の手帳より②

やっとのことでモスクワに着いた一行。翌日はワフタンゴフ劇場下見、それから登志夫はクレムリン見物へ。夕食後寝ようとしたら誘いがあり、永山氏の部屋で登志夫のジョニーウォーカーを開けています。話はアンコールについて。

翌7月1日は食堂での稽古やソ連側との打ち合わせなど。アメリカの時のようなイヤホン解説を使わないというのは、ソ連側の主張だったようです。文化程度が高いからプログラム解説で十分ということでした。が、この日には開演前、短い解説を幕前ですることになり、登志夫が原稿作りをします。

2日には舞台稽古が始まります。夜は本間団長夫妻他でボリショイ劇場でバレエを見ました。手帳には、ホテルへ戻ってから「演目についてもめはじめる」とあります。当初予定の5演目のうち「俊寛」と「鳴神」に年取った猿之助が主演することになっていましたが、健康のこともあるし、実際観客にとっても全部は長い、という考えから、このふたつを日替わりで、という案が出始めましたが、本間団長が待ったをかけています。夜には本間団長から頼まれ、またスピーチの原稿を書いています。

翌日は初日。この日の手帳には、今後のモスクワ見学の予定が書かれています。ソ連側の配慮により、公演の前に、毎日いろいろな団体見学が組まれました。

モスクワ観光。登志夫が先頭。
クレムリン。

初日の式典の並びもちゃんと手帳に。上演時間、客席の反応も細かく記しています。

初日は「連獅子」「籠釣瓶」「俊寛」「道成寺」が上演されました。黙阿弥作品はこの「連獅子」の前にも、昭和3年の最初の海外公演であるソ連公演のとき、「宮島のだんまり」が上演されています。

式典の様子。

式典のあとはインタビュー。インタビューの事も書いていますが、略します。そこには、出演者のインタビューへの答えに対して、本間団長が気分を害したことが書いてあります。左から登志夫、段四郎、猿之助、本間団長、歌右衛門。

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)