初の訪米歌舞伎、登志夫の手帳②
6月9日ニューヨーク、シティセンターでの舞台稽古のことが書いてあります。ここには、「小道具として石を二個送ってきたが、それを開けたらビールの缶やウィスキーなどが出てきた、免税だから大変、松緑に嗅ぎつけられた」という話を藤浪さんが「黙っててね」と念押しして打ち明けたことが書いてあります。
また、右ページには「道成寺」の稽古で鐘の降り方がうまくいかず、歌右衛門がカンカンに怒る、とも。
6月23日、ニューヨークをあとにし、陸路にてシカゴを経由してロサンゼルスへ。到着は26日でした。竹本さんが汽車が揺れて不眠、アイオワ州を通る時は車中でアルコールを売れないことなどが書いてあります。そのあとはなんだか、市川先生や藤浪さんが一行の役者さんに想われて個室に分かれた汽車の中でごたついている様子も書いてあります。その後も言い寄ったり言い寄られたの話が散見されますが、登志夫にはお誘いはなかったようです。
6月30日ロサンゼルス、野外劇場グリーク・シアター初日。ヘンリー・フォンダ、ヒッチコックなどが来たことが書いてあります。
7月7日、一行が女優のメアリー・ピクフォードの家に招かれたこと。すごい家だったようです。日本でも谷崎潤一郎の小説「痴人の愛」のナオミのモデルとして名前が有名です。このページのトップの写真が、その時一緒に撮影したポラロイド写真です。こちらは同じくピクフォード邸で、永山武臣氏と。
毎晩のように誰かのお部屋で飲んでいるようですが、仕事もちゃんとしていました。1冊目の手帳の最後には、この間に書いた原稿が一覧に。これだけ原稿依頼があり、掲載されたということで、どれだけこの歌舞伎公演が日本で注目されていたかがわかります。
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