初の訪米歌舞伎、登志夫の手帳③
登志夫の手帳2冊のうち、二冊目に入ります。二冊目の最初は7月9日、ラスベガス弾丸ツアーです。
この日は手帳によると、朝4時に寝て、朝「演劇界」への原稿を終え、11時ごろ松緑さんからスイカの差し入れがあり、夕方5時50分にお迎えがあり何人かの一行でラスベガスツアーに出発します。永山事務局長も行く予定だったようですが、松尾団長代行の手前抜けられないことになった、と書かれています。グリーク・シアター公演の千秋楽の前の日のことです。ロサンゼルスでは野外劇場で、夜一回公演でした。
ロサンゼルスを夜7時発の飛行機で、ホテル持ちのシャンパンツアーとかで、機中にはピアノがあり、うたったりしたようですが、当時の機中はこんなに自由だったのでしょうか。ホテルは1957年創業のトロピカーナで、いまもラスベガスでは定式である「バフェ」形式の食事を体験しています。
夜通しスロットマシーンなどで遊び、パリの有名な一座によるエロティックショーを見たり、ベガスの夜を堪能。
そして、ラスベガスと往時の歌舞伎の共通点を見出し、朝4時の飛行機で発ち、10日朝6時にロサンゼルスに無事帰着…。
このことは、1937年発行の「ヨーロッパ歴史旅情」にも書いています。
千秋楽を終え、翌日11日はサンフランシスコへ移動、夜には勘三郎さん以外の俳優さんたち含め30数名で日本食を食べに行き、睡眠不足による頭痛が治った、と書いてあります。
12日は、オペラ・ハウスでの初日です。
ここは3200人入る大きな劇場です。ここでの客層や芝居の様子を書いています。
登志夫は、急に飛行機の都合で先発として本隊より2日早い17日に帰国することになりました。本隊が着いた日には羽田に出向き、一行と一緒に会見に出席したりしました。写真は7月19日、本隊が帰国した時の様子です。
下の写真、登志夫と話しているのは、女優の藤村志保さん。当時から、親しい美しいお友達でした。こうしてみると、女性に囲まれているようですが、登志夫のお迎えだったかはわかりません。この頃は登志夫35歳、離婚調停中。再婚するのは4年後、東京オリンピックの年でした。まだ未来の妻とは会っていません。
手帳の最後には、登志夫が買ったお土産の記録が。登志夫のお土産のモットーは、かさばらないこと。ボールペンやネクタイ、「女の」と限定されたお土産もずいぶんたくさんです。
現地で持ち歩いたのか、ボロボロになったスケジュール表も挟まっていました。
同日、永山武臣氏と。
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