アメリカ公演についての掲載記事

登志夫が2冊の手帳に記録したアメリカ公演のさまざまなことは、滞在中から日本に原稿を送り、掲載されました。この後の訪欧、訪ソのときは立派な公演記録の冊子が出されますが、この時は出されませんでした。
こちらは雑誌の一部。「自警」10月号には渡米カブキ裏話。裏話というだけあって、本筋とは離れた一行の生活ぶりが楽しく書かれています。セルズニック邸やメアリー・ピックフォード邸に招かれた話やグレタ・ガルボと歌右衛門の逸話なども。
セルズニック邸で、登志夫、シャーリーマクレーン、歌右衛門、グレンフォード。この写真は、登志夫著「ヨーロッパ歴史旅情」に掲載のものです。

「演劇界」7月号には現地に行って10日で原稿を送っています。NYで芝居が開くまでのスタッフの役割分担について。イヤホン解説が好評だったこと、そして、この後ずっと永山武臣松竹会長が折に触れ「河竹さんの名訳」と評した、登志夫訳によるNYタイムズのアトキンソン氏の歌舞伎評が全文載っています。永山氏とバーで初日の翌朝新聞が出るのを待ち、すぐに訳して楽屋に貼りだしたことは、登志夫にも大変思い出深い出来事で、度々色々なところで話したり、書いたりしました。初日の劇評がその後の興行の成功を決めるほどの力を持っており、中でもアトキンソン氏の評は最も影響力があったため、ここでよい評が出たことで一行が大きく勇気づけられたということでした。


写真は、徹夜で訳した劇評を楽屋に貼り出しています。右が登志夫。

翌月の「演劇界」には第二信として、ロサンゼルスでの公演について、野外公演のことや、この地の観客の特徴が書かれています。楽屋に「サンキュー」を言いたい、と訪れる人がたくさんいたというのは、今では考えられない大らかさです。このあと一行は第三の地、サンフランシスコへ向かいます。

登志夫が買ってきたロサンゼルスの野外劇場グリークシアターの絵葉書。

「婦人画報」10月号には「カブキ・イン・アメリカ」として、裏話入りの短文を寄せました。

雑誌にはまだまだ多数書いています。
詳しい記録は他にも、1960年の渡米歌舞伎に関する記録並びに反響の報告(早大演劇学会「演劇学」3 所収)歌舞伎海外公演の記録(松竹株式会社1992年刊行)などがあります。


河竹登志夫 OFFICIAL SITE

演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)