登志夫、アメリカへ

前回の切抜帖で、登志夫の初渡米中の記事がありましたので、その当時の雰囲気を写真でご紹介します。
盛大に見送られて羽田空港を出発する様子。真ん中に嬉しそうな繁俊夫婦が。
羽田を飛び立ったのは1957年8月13日の夜、JALのプロペラ機で。ハワイとの間のウェーキ島で給油。登志夫が撮影した飛行機。
これはとても貴重な写真で、太平洋戦争中に日本が占領していたが、1945年の敗戦後から1960年中頃まで、JALやパンアメリカン航空などが太平洋横断定期路線の燃料補給のため数時間ここに止まりました。その頃日本にはドルがなく、先方から支給される人しかいけない時代で、ここに滞在した人はずいぶん少なかったでしょう。
羽田を発って3日目朝、ワイキキビーチで。
いよいよハーバードスクエアの近く、下は60年以上前のブロードウェイのスーパーマーケット。日本にはまだ食料品屋、酒屋、タバコ屋といった個人商店しかなかった時代。なんでも揃うスーパーマーケットを見て、びっくりして写真を撮ったのでしょう。
雪のニューヨーク。
登志夫がハーバード大学を描いたスケッチです。1957年10月。
こちらはクリスマスイブ。同じアパートの住人と。
滞在後は、「私の履歴書」に「アメリカ滞在後渡欧するのに、空路でなくクイーン・エリザベス号に乗った。当時は84,000トンのこの船が世界最大だった。戦中の青函連絡船しか知らなかったので、いちど乗ってみたかったのだ。そのかわり小さな相部屋だったが。」とある通り、有名豪華客船に。
下の写真は相部屋の歯医者さんと。ニューヨークから5日後にフランスシェルブールを経由、その翌日イギリスに着きました。
このヨーロッパ旅行のことは著書「ヨーロッパ歴史旅情」にありますのでぜひ読んでいただきたいです。

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)