歌舞伎座手打式以後、最後の日々①/妻良子の手記
「雑誌『演劇界』に2007年9月号から2013年の7月号まで、六年間にわたって連載した『かぶき曼陀羅』71篇と、2010年5月1日から31日まで、日本経済新聞に連載した『私の履歴書』を加えて、94冊目となるこの著書が生まれました。
東京に居を移しての治療も効なく、腰部脊柱管狭窄症の痛みに悩まされる日々でした。2012年6月、広尾の日赤病院で日赤式椎弓形成術という手術を受けました。狭心症のため諦めていましたが、心臓シンチグラフィの検査にOKが出た日、メモに大きく”晴朗の気”と書いて、再出発を期していました。
術後のリハビリに励む矢先の秋、思いがけず、薬の副作用ともいうべき大腸憩室出血にみまわれ、二十日余りの入院、絶食、安静でだいぶ体力筋力を消耗してしまいました。
明けて2013年の1月からは歌舞伎座開場に向けてのNHKや新聞雑誌各社からのさまざまな依頼を何とかこなし、やっと3月28日の『杮葺落興行古式顔寄せ手打式』を迎えました。腰痛に加え、手はしびれ、足はこわいほどむくんでおり、奉書を取り落とした時に備えて全部暗記して臨みました。体力の限界ぎりぎりの日に口上読み上げの大役を果したことになりました。
翌日から起き上がるのも困難になり、半月後には化膿性脊椎炎による激痛で、寝台タクシーでの再入院となりました。夫の脊椎についた菌には現在ある四十二種の抗生物質はすべて効かず、なすすべもなく最後の一週間は緩和ケアになり、やっと長年の痛みから解放されました。
ナースが来ないか夫が目で見張り、娘が急いで霧吹きのビールを口に吹きこむと『ウマイ!!』と目を細くして笑い合ったりします。そんな時は、五十年前に永代橋で死ぬまで離れるなと言ってくれた人との別れの覚悟が鈍りました。
五月五日の晴れ渡った空を『きれいだネ』と心ゆくまで眺めていましたが、胸に去来するものを見ていたのでしょう。翌日、昼寝でもするように、やさしい笑顔のまま永い眠りにつきました。夫に御縁をくださいましたすべての皆様ありがとうございました。
演劇出版社の新村清美さん、また連載と本書刊行に細心の配慮をつくしてくださいました大木夏子さんに心から感謝申し上げます。
日本経済新聞社の平田浩司さんには、夫の多事多難だった人生を振り返り、纏めるまたとない機会を与えていただき、本当にありがとうございました。」
写真は2012年7月最初の手術の時、日赤病院で良子と。手術を控えての「晴朗の気」。明るい表情。
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