登志夫の描いた雛人形と、うちの大勢の人形たち

今日はひな祭り。この写真は、うちに昔からある雛人形です。といっても、登志夫夫婦が娘たちのために買ったものですので、50年はたっていないかもしれません。久月で買った木目込み人形です。いつも出す前に桃の節句は過ぎてしまうのですが、今年は初めて出してみました。飾ってみると、季節感があって、なかなかよいものです。お内裏様の冠のうしろの飾りが取れてしまってうまくつけられないので、そのままですが。

こちらは、登志夫が歌舞伎座の筋書の扉絵を連載していたときの3月の絵です。この立ち雛をモデルにしています。「春を褥に」という一文が登志夫らしいです。
こちらは昭和41年、成城の家での長女と登志夫です。ここにうつっている雛人形は、雛人形を持っていなかった妻のために、新婚すぐの節句に登志夫がサプライズで買ってくれたものだそうです。
右のハイハイ人形や、左の御伽犬、花見人形などは親戚などから贈られたものです。この頃はこういう人形を贈り物によく使ったのですね。
こちらも成城の家の応接間です。こちらは、雛人形ではありませんが、左の4つの御所人形は、繁俊が長年歌舞伎座で子供歌舞伎教室のために解説をしたことに対する謝礼に主催の都民劇場さんから感謝状とともにもらったものだとか。
昭和27年から歌舞伎座で開催されている「子供歌舞伎教室」は、歌舞伎座の開場前の朝、中学生に解説と芝居を一本見せるもので、繁俊が当初から6年以上ボランティアとして毎月早朝の解説役を務めました。
繁俊夫妻は、これを初孫にくれました。おかげで雛祭りの頃の応接間はまるで「人形の家」でした。
こちらは、昭和47年か48年、神奈川県逗子に引っ越してすぐの頃です。ここにいる雛人形が一枚目の写真とおなじ人形です。子供たちは張り切って晴れ着を着せてもらっています。左は登志夫の妻良子、右は早くに亡くなった良子の妹です。ほかにも雛人形のペアがあり、今はそれぞれ良子や娘たちが所有しています。
こちらの手前のは小さい立ち雛。こちらは三女が持って行きました。登志夫の絵は、もしかするとこのふたつの立ち雛のミックスしたのかもしれません。
こんな座り雛のペアもありました。これも逗子に越してから、良子の実家から3人の子供たちにと贈られたもの。夫婦のペアばかり数組いましたが、官女やお囃子連中は最初から不在でした。

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)