登志夫から妻への誕生日プレゼント。

登志夫は、家族の誕生日を忘れませんでした。手帳を新しくすると、まず家族の誕生日を記入しました。2月の良子の誕生日には、「良子GT」と記入していました。英語のBD(バースデイ)ではなく、ドイツ語の「geburtrtag」だとわかったのは、登志夫が亡くなった後、手帳をみてからです。

登志夫は、結婚50年の金婚式をあと4ヶ月後に控えてこの世を去りました。その間、良子の誕生日を忘れたことはありませんでした。

写真右は2008年のお手製誕生日カード。左は、2013年の、最後の誕生日プレゼント。
誕生日カードは若い頃のはもっと簡単に描いてあったのですが、晩年は金色を入れたり盛り上がる字にしたり、細かく工夫を凝らしてあります。
この人形はハートガールと呼んでいますが、大きな動いているような心臓の真ん中が顔になっていて、花束を渡しています。
最晩年、足腰の治療で良子に心ならずも世話をかけていることなどに対して、心からのありがとうなのだと思います。口で言っても、良子の気性では「こんなこと当たり前!」と言われそうで、それでも本当にありがとうという気持ちを込めていたのだと思います。だから、良子はこの人形を見るたびに、何やら切なくなるそうです。
良子が生まれた日も、登志夫の生まれた日も雪が降っていて、それに色白だったので、両家とも雪夫、雪子と名付けようと思ったそうです。しかし登志夫の家は寂しそうだからとやめ、良子の家は昭和の皇后陛下の名前にしたそうです。雪夫と雪子ならもっとロマンチックな夫婦だったでしょうか(笑)。
登志夫はガラスでできた小さな飾りのようなものが好きでよくプレゼントしました。良子がブランド物に全く興味がないのでたまに海外でランセルのバックなどを買ってきたりもしたようですが、重くて使わなかったりするので、やはり誕生日はこんな感じのかわいいものを選ぶことが多かったです。


河竹登志夫 OFFICIAL SITE

演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)