登志夫の年賀状

登志夫には毎年1000通位の年賀状が来ました。その返事を書くのには書斎にこもって、1週間近くかかりました。正月、家族が集まって、百人一首やかるたをするときに、読み手が足りずに呼びに行くと、しぶしぶ書斎から出てきて、勤めを果たすとまたすぐ戻ってしまいます。
右手親指が腱鞘炎になった年に、家人の意見を容れ、500通位に絞りました。亡くなる前の年などは震える字になってしまいましたが、それでもかなり書きました。最後の時は、宛名は娘がパソコンで作りました。
「歳をとったら不義理をしなくては」と言いながらも、最後まで筆まめでした。年賀状については、やってしまわなくては、という気持ちもありましたが、来る便りを見て昔を懐かしんだりする、いい時間だったようです。
毎年、自分で干支の文字をその動物に見立てたデザインをすべて手書きで書いていました。もちろん宛名も自筆でした。こうして並べてみると、ウサギなどは字をデザイン化したようにも見えませんし、ミッフィーのようでかわいらしいですし、猪などは特に力が入っており、他とちょっと違います。
毎年あれだけたくさんのお年玉くじ付き葉書がきましたが、1番よい当選品は、40年位前に、当時人気だった「ポケットカメラ」というのが当たった時だったと思います。
こんな雑誌に載ったこともありました。

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)