逍遙の不死鳥を飾りました!
こちらは、『人間坪内逍遙』に収録されている昭和31年8月に東京新聞に掲載された「フェニックス」という題の、繁俊の文章です。引用ではなく、短いのでまるごとご紹介します。東京新聞から、「うちの宝物」とか、そんなコーナーでの原稿の依頼だったものと思われます。
「もう三十何年も前になりましたが、関東大震災のとき、本所で何もかも焼亡して以来、美術品といったものはほとんど収集しないので、とんと申し上げるほどのものはありません。
書斎にかけて毎日ながめて思い出にしているのは、その震災の直後恩師坪内逍遙先生がかいて下さったこの額です。絵はフェニックス(不死鳥)が炎の中で羽ばたいているところ。『化々即生々~亜剌比亜の野に霊鳥あり、比尼基或いは訳して鳳凰となす、羽毛紫朱金光を帯ぶ、毎五百歳自ら火化して更生す、故に起死回生の象徴となす。発亥秋大災後一月、為河竹君、逍遙』と讃がしてあります。
焼け野原に立ってぼんやりしていた当時のわたくしには、何よりも大きな激励になりました。その後小宅を逍遙先生が訪問されたとき、表装してあるのを見て、『ア、しまったトサカを書くのを忘れた、そのうち書き足して上げよう』と苦笑されていたが、そのままになってしまいました。」
それにしてもこのフェニックス、ずいぶん可愛い顔をしています。逍遙の門下で、他にも池田大伍さんなど、震災に遭った人がいて、同様のものを書いて与えたということですが、トサカを書き忘れたのはこの一枚だけだったのかどうか、そこが気になっています。
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