109年前上演「ハムレット」台本への寄せ書き
前回、逍遙の書画「フェニックス」のことをあげましたが、逍遙の直筆をもうひとつ……。
この写真について、登志夫が日本近代文学館発行のリーフレットに書いた「寄せ書きのある『ハムレット』」から引用します。
「薄緑色の汚れた布表紙の真ん中に、シェークスピアの胸像をあしらった一冊の古本。明治四十二年、早大出版部と冨山房の共刊に成る、坪内逍遙役『ハムレット』である。後期文芸協会が新劇運動体として発足した年で、これが坪内訳ハムレット公刊の最初でもあった。(略)
逍遙は本書刊行の二年後、この訳により開場間もないピカピカの帝国劇場で『ハムレット』を上演する。女性の登場人物はすべて女優による、シェークスピア劇の近代劇完全上演の嚆矢であった。
しかし私がこの本を珍蔵しているのは、近代演劇史上画期的な訳業だからというだけではない。現在の私にも深い関係があるからである。
手ずれてぼろぼろのこの本は、表紙の厚紙を抜き、中に何枚もの演出メモを挿入して、針金で綴じ直したもの。第一頁には『角座之印』が捺してある。帝劇公演後まもなく大阪角座で一週間打った、そのときの舞台監督用の台本なのだ。
舞台監督は父・繁俊の親友だった吉田幸三郎で、父は吉田から譲り受けたのだといって、大切にしていた。父と吉田さんは松井須磨子と同じく、文芸協会の一期生であった。吉田さんは厚紙をぬいてフニャフニャになったこの本を和服の懐中に入れて、舞台裏をかけまわったのであろう。
その柔らかい布表紙の裏に『角座開演三日目』(明治四十四年七月三日)として、一座二十名の寄せ書きがある。まず『おかたみの品物をば 逍遙』劇中のオフィリアのせりふになぞらえた言葉だ。東儀鉄笛の『墓堀男笛生』、土肥春曙の『Hamlet T.doi』、池田大伍の『道具方大伍』、そして松井須磨子、加藤亮(精一、道子さんの父)、森英治郎、(上山)草人……。『陸輔』は、中国へ帰ってから話劇の先駆春柳劇場をおこす、陸鏡若のこと。
その中に『市村』の名がみえる。父の本姓である。父はノルウェー王の親書を王に届ける『ヺルチマンド』を演じていた。だがこの角座出演が、父の運命を変えたのだった。
舞台姿を兄に発見され、『ハハキトクスグカエレ』の偽電報で信州の生家へ呼び戻された父は、河原乞食になり下るとは何事かと家族中から責められたあげく、苦しまぎれに黙阿弥家の養嗣子入りを決心したのだという。
少し以前から逍遙は父に河竹家入りをすすめていたが、父にははじめ、その気は全くなかった。角座一件がなかったら、父は歌舞伎とも河竹とも無縁の生涯を送ったろう。当然私も、今の私ではなかったはずである。
因みに父の処女作は、バーナード・ショウの『カンディダ』の邦訳。これも、薄汚れたハムレットとならんで、私の書架に生きている。」
ということで、この書き込み本は、今から109年前、繁俊22歳のときのもの。こちらは、まだ早大演劇博物館に寄贈せずに、とってあります。いつ吉田さんから譲られたかはわかりませんが、残っているところを見ると、震災後だったのでしょう。逍遙をはじめ、ここに名前のある何人かの人生や、文芸協会の行く末を知っているだけに、この時の、将来に明るい夢や希望を持っていたこの人たちの思いがここに込められているようで、みるたびに感慨がひときわ深い、我が家の貴重本です。
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