お彼岸

本日は、午後から晴天になったので、久しぶりのお墓参りに行きました。
お墓は中野の源通寺です。墓地に入るとすぐのところの一区画に、大小四つの墓があります。向かって右が吉村家、黙阿弥の家族の墓で、糸女はこちらにいます。左が繁俊の家族、登志夫はこちらにいます。
手前左は糸女が可愛がっていた猫の墓。
手前右は、初代新七の墓。血の繋がりはありませんし、黙阿弥自身会ったこともない人ですが、名前をもらったご縁から、黙阿弥が建てました。
うちは、お線香もお花も食べ物のお供えもなしです。樒(しきみ)の木から一枚葉を摘み、葉でお水をかけて、終わりです。
この区画のすぐ左に、このような案内が作られています。2007年に登志夫が河竹家について書いたものです。
普通は絶対に誰も気付きませんが、、右側に、登志夫の描いた絵があるのです!なぜ見えにくい側に付けられているか、、それはシャレなんだから、目立たなくていいのさ、という登志夫らしい気持ちからですが、本当に普通は誰も気付きません。登志夫が好んで描いたカエルの擬人化、弁天ガエルです。江ノ島と富士山、逗子の書斎から望んだ景色が背景となり、「弁天娘女男白浪」の名ぜりふが刻まれています。上の写真が現在、下が建ったばかりのころです。数年で色がずいぶん変わってきています。

昔はこのように、吉村家のお墓だけでしたが、繁俊が昭和15年に左の河竹家の墓を建てました。源通寺は、もともと浅草にありましたが、明治41年にこの現在の中野に移転しました。

今年は、コロナのため、5月6日、登志夫の7回目の命日にもお墓参りは見送りましたが、久しぶりにお参りでき、ほっとしました。

帰り道、東中野の東京風月堂で軽食を。初めて入りましたが、広く落ち着いた居心地いいお店でした。お墓参りは、ちょっとこんな楽しみがあるといいものです。

河竹登志夫 OFFICIAL SITE

演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)