河竹家と震災⑨焼け残ったもの①燭台と鉄瓶

震災で焼け残った葛籠と箪笥には何が入っていたか。

葛籠は、日ごろからこれだけは、と糸女がひとつにまとめておいてものです。「作者の家」から引用します。

「さあ出立となって、糸女は倉沢に、葛籠を背負ってこいと命じた。倉沢はめずらしく怒った。こんな場合に古葛籠なんかどうするんだ、それより赤ん坊のおむつや着替えのほうがよっぽど大事じゃないかーと。

だが、両親の遺書類や遺愛の品々の入ったその葛籠を、糸女が命より大切に思っていることは、繁俊もみつもよく知っている。

倉沢は繁俊にたしなめられて、「信雄」と書いた大きな柳行李に子供の着類を入れ、蓋がわりにしぶしぶ葛籠をのせ、それを頭上にくくりつけてあとに従った。」

黙阿弥と、その妻琴の、遺書と遺愛の品々。遺書は紙ですからかさばらないし、軽いものですが、この遺愛の品々には、銅製の燭台や、鉄瓶などが含まれます。たとえばいま手元にある、こちらの燭台ひとつでも、かなり重量があります。量って見たら、511グラムありました。

さらに、鉄瓶。これでは書生の倉沢さん、ずいぶん重かっただろうと思われます。こちらは現在は国立劇場に寄贈しています。

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)