切抜帳33より③エッセイ
2000年3月「広報ずし」の「この人わがまち」に。逗子での30年の生活ぶりを。
2000年7月「わ」に「ステッキと私」。この時登志夫75歳。まだ足も元気でした。
2001年6月、放送文化基金賞の授賞式パンフレットに表紙絵と解説。豪華客船飛鳥に講師として、良子と共に世界半周した時に描いたカリブの海のスケッチ。
2002年4月浜銀総合研究所誌に「カエルの住む庭」。こちらも、逗子での暮らしについて。
「演劇界」2002年2月号の新年随筆に「年賀状」。登志夫の初仕事は年賀状の返事書きでした。そんなことが書いてあります。父の繁俊、黙阿弥の没年に近づき、越していく時期、随筆には、自分もいつまで生きるかわからない、という気持ちを頻繁に挿入しました。
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