切抜帳25より①/歌舞伎公演プログラム

切抜帳25は1992年6月から。

国立劇場6月歌舞伎鑑賞教室のプログラムに監修のことば「黙阿弥得意の白浪物」。「白浪五人男」の弁天を八十助さんが演じた貴重な舞台。

翌7月の鑑賞教室も黙阿弥物「魚屋宗五郎」。ここにも監修のことば「黙阿弥世話物の味」。

中村富十郎さんの公演「矢車会」のプログラムに、「筆幸」監修のことば。


歌舞伎座で8月26日から28日に開催された、元禄歌舞伎再興「成田山分身不動」プログラム。初代團十郎こと三升屋兵庫について。

歌舞伎座9月興行プログラムに「黙阿弥と松羽目物」。この月は黙阿弥歿後百年というタイトルで「船弁慶」が上演されています。静と知盛は亡くなった勘三郎さん、義経は亡くなった芝翫さんでした。

10月大阪中座での前進座公演「河内山」に「河内山と“黙”の字」。

歌舞伎座10月公演プログラム。「十六夜清心」上演にあたって「黙阿弥の狂言浄瑠璃」。黙阿弥が、独立した舞踊劇の作詞だけでなく、世話狂言の中での浄瑠璃を多数作ったこと、狂言浄瑠璃とはなにか、について解説しています。

10月南座新装開場公演プログラムに黙阿弥歿後百年、「『白浪五人男』の世界」。この上演は夜の部の通しでした。弁天は勘三郎、南郷は左団次、駄右衛門は富十郎、赤星は現在の鴈治郎、忠信利平は現在の芝翫でした。10月だけで3劇場のプログラムに寄稿しました。

11月演舞場公演に「『児雷也』と若き日の黙阿弥」。こちらも黙阿弥歿後百年としての上演。亡くなった團十郎の児雷也でした。黙阿弥の作品のなかでも珍しい、流行草双紙を劇化した若いころの作で、その経緯などを4ページにわたって解説しています。若く亡くなった伝説の美男・八代目團十郎が初演して大成功したとか。

12月南座顔見世公演プロに「魚宗菊の花」。六代目菊五郎の芸談本などで、六代目が魚屋宗五郎を魚宗と縮めて言うのを嫌がったとあるせいか、「魚宗」という呼び方をあまりしなくなっている気がしますが、「鎌倉三代記」を「鎌三」というような感じで通称があります。

菊五郎と魚宗の代々の関係について解説しています。

12月国立劇場の「四十七刻忠箭計」上演にあたって、監修のことば「『四十七刻忠箭計』と黙阿弥」。歿後百年も12月で終わりとなると、珍しい演目も上演されました。

登志夫、この年はプログラムの寄稿、書きまくった1年でした。

翌1993年2月26日、明治座新装開場プログラムに。「明治座界隈」。明治座は両国に見世物小屋が立ち並んでいた時代の屋根もなかった小屋を起源として、東京で最も歴史ある劇場となっています。周りにも芝居の舞台となった地がたくさんあります。そんなことを「祝辞にかえて」として解説しています。

3月は、国立劇場に「黙阿弥歿後百年と『鼠小僧』」。黙阿弥歿後百年は前の年が百年目、そして年が明けても満百年としてなんとなく継続しているようで…。そして、演目はさらに珍しいものになり、この時136年ぶり、とのことです。このあと、2022年2月に歌舞伎座で上演されています。雪の中の、シジミ売りの子供のいじらしさが印象に残る良いお芝居でした。

それにしても「黙阿弥百年」はこの年はいつまで続くのか。次の切抜帳が楽しみです。

河竹登志夫 OFFICIAL SITE

演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)