切抜帳23より③/交友関係
1991年2月7日日経新聞「交遊抄」に、「遠くて近きは…」。登志夫の著書「舞台の奥の日本」を英訳してくれたロンドン大学名誉教授P・Gオニール博士との翻訳中のやりとりが楽しかったと言っています。登志夫も29歳の時に「現代戯曲創作法」(ドルーテン著)を訳して出版しているので、その苦心に共感しています。
季刊「ぎをん」新春号に「祇園と私」。祇園のお料理屋さん「川上」のことはよくいろんなところで紹介していましたが、もっと広範囲な「祇園」であそぶ、となると全く乏しい体験談しかないことを自ら語っています。
2月25日刊「呼べばくる亀」の帯。著者の中村陽吉さんとは成城高等学校からの親友。登志夫とは毎年末にふたりで会う日を作って過ごしていました。登志夫が亡くなったあとも、誘い合って何度か良子たち家族ともお墓に行ったり会食したり、楽しい時間を持ちましたが、数年前からご高齢で外出もままならなくなり、お会いできていません。上品で何とも言えないユーモアのある知識人、またお会いしたいものです。可愛がっていたペットの亀との交流をつづったこの本は話題になり、テレビ出演されたりもしたようです。
「オペレッタ通信」には、親しい寺崎裕則氏との対談。
成城学園の同窓会だより。前列左から5番目の登志夫は67歳です。
こちらは登志夫の寄稿ではありませんが、「オール読物」に直木賞受賞者・宮城谷昌光氏が書いた自伝エッセイに登場していたのを切り抜いてあります。
9月21日朝日新聞「私と先生」に加藤剛氏が登場し、繁俊と登志夫のことについて、ご自身が俳優の道に引き込まれたのはこのふたりの影響だと語ってくださっています。
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