切抜帳17より④公演プログラムより
1985年2月新橋演舞場プログラム。登志夫が監修した『沓手鳥孤城落月』上演にあたり。淀君は亡くなった芝翫さんの初役でした。秀頼に当時の孝夫さん、玉三郎さんの常磐木、富十郎さんの内膳、福助さんの千姫などが出演しています。登志夫の寄稿に引用されている逍遙の作意には、活歴ものに対する疑問かなり強い口調で書かれています。そして、「なるべく不行儀な、我れを忘れた、気違ひめいた、ごった返した、てんやわんやなのを主とし、詞づかひも成るべく情を大切に表するに足るやうなのを選び、情の激した瞬間には貴賤もなく賢愚もないといふ点に重きを置いて綴った……」といっています。逍遙38歳の作、こういう背景を知ると、この作を改めてよく観たくなります。
こちらは2月国立劇場「芸団協20周年記念 夢か花か子ども~隅田川の世界~」に「芸能の東西交流」。この記念公演の内容はどんなものだったのかわかりませんが、能「隅田川」がもとになって、戦後ベンジャミン・ブリテンという作曲家によって生まれた作品「カーリューリバー」を取り上げて、西洋と日本、東洋の芸能の交流について書いています。
1985年4月オペレッタ、フォルクスオパー日本公演プログラムに「オペレッタ讃歌」。登志夫のウィーン観、オペレッタ観が書かれています。
0コメント