登志夫が小学生時代に受けた戦時教育⑤ 「国史」「地理」

明治の初めは開化啓蒙主義の歴史教科書で、天皇歴代史のほかに東洋、西洋の歴史も地理も知識を幅広く世界に広げています。
しかし明治中期には明治天皇が仁義忠孝の教えを重視するように文部省に指示を与え、小学校では日本歴史のみ教えることになりました。これが「国史」です。登志夫が5年生の時から始まった国史の中味をみましょう。
これは国定教科書の「国史」の副読本です。
「高等小学校歴史絵図」上巻。開くと聖徳太子。説明文は、「聖徳太子は御名を厩戸皇子と申したてまつり、推古天皇の御時、摂政となられ、長い間、天下の政治をおとりあそばされました。太子は大層聡明でいらせられ、日本の国の文化をお進めなさる思し召しで…」

下巻を開くと「憲法発布」。
説明文は「明治22年2月11日、紀元節の佳き日、明治天皇は、大日本帝国憲法発布の大典をあげさせられました。この図は明治天皇より内閣総理大臣黒田清隆に憲法をおさづけになるところであります。」
上の2枚の写真はこの本の最初の見開きです。想像画や写真で視覚に訴える目的で作られています。中身は天皇家に忠義を尽くした人々のお話がほとんどです。
序文では「小学校における国史は忠君愛国を国民に教える手立ての中心である」と言っています。
こちらは先程の見開きの裏のページの年表です。1番上は紀元の年号(西暦は書いてありません)です。神代は紀元前、上代は紀元1年の神武天皇〜元明天皇。奈良時代が聖武天皇〜桓武天皇。あと平安、鎌倉、吉野…と統治した天皇の名が書かれています。
その下の段は重要事項、因果とありますが、字が小さくて虫眼鏡があってもなかなか読めません。
その下の段は出雲大社、皇大神宮、熱田神宮、明治神宮等の皇室に縁のある神宮の写真。
次はページ半分を使って「皇室御略系」で、伊奘諾尊、伊弉冉尊〜天照大神〜昭和天皇までの家系図で万世一系を表しています。

上巻からの抜粋。「大国主命〜南蛮人渡来」。
下巻からの抜粋。「王政復古、明治天皇東京行幸〜満州上海事変」。
下巻、下段の説明文だけ紹介しましょう。
左/関東大地震直後の光景、今上天皇陛下ご視察の御有様である。場所は上野から浅草観音堂を望む辺の地点。バラックに避難している哀れな罹災民は跪いて奉迎している。

中央/大正天皇の崩御 昭和2年2月7日の夕、霊柩は葬場殿に向かわせ給う。御葬礼の長さは約6キロメートルにわたり、沿道に奉送申し上げる幾十萬の民…

右/満州国執政溥儀氏夫妻 我が陸戦隊の活動 破壊されたウースン砲台占拠の我が軍

3段目中央/昭和9年現在の日本国土。
ピンク色の部分が日本が統治しているところです
説明文。
「明治初年のわが領土は、本州、四国、九州、琉球、北海道、千島の諸島等であったが、日清戦争の結果台湾、膨湖島を加え、日露戦争の結果、樺太の南半分を収め、関東州を租借し、次いで朝鮮を併合し、欧州大戦の結果、独領マーシャル、キャロリン、マリアナの南洋諸島の統治を国際連盟から委任されることになった。青島は占領後一時我が軍政治下に置かれたが、後支那に還付した。また露国及び支那の動乱に際しては、あるいはシベリアにあるいは支那各地に我が軍の出兵を見た。」


これは昭和10年の登志夫4〜5年の算術問題集です。おもしろ怖い問題がありますので、紹介します。
日暦算
○ 9月15日は木曜日である。その年の12月25日(大正天皇祭)は何曜日か
○ 11月3日(明治神宮祭)は木曜日である。その年の4月29日(天長節)は何曜日であったか。
○大正15年12月25日大正天皇崩御あり、同日今上天皇即位せられ昭和と改元された。ある公債の利札に26年6月渡しと記してある。これは昭和何年にあたるか。
○コロンブスがアメリカ大陸を発見したのは西暦1492年であった。これは神武天皇即位紀元何年にあたるか。
○ 1月1日が土曜日にあたる年の紀元節及び神武天皇祭はそれぞれ何曜に当たるか。
○昭和7年は紀元2592年である。日露戦争は明治37年に始まって38年に終わった。紀元何年に終わったのか。
算術なのか、国史なのかわからないような問題です。興味のある方は計算してみてください。おのずと天皇誕生日や日露戦争開始日等が覚えられます。

昭和14年の「主婦の友 新年号」の付録です。
皇紀元年の振り出しから新支那の建設までのすごろくです。最後のところに来たら、万歳を叫ぶと書いてあります。
お遊びになる前にと言う説明文に
「私たちは皇紀2600年の良き年を奉慶申し上げるとともに、日本を今日あらしめた私たちの祖先の数々の功績を偲び、さらにご奉公の誠を致さねばなりません。その意味でこのすごろくは、繰り返し繰り返し遊びますうちに、知らず知らずに日本の歴史を覚え、将来に対する覚悟を新たにすることができますので、誠に意義ぶかいものと信じます。遊びですから恐れ多い場面はなるべくご遠慮申し上げましたが、なおいっそうお取り扱いにご注意下さるようお願いいたします」
お正月の遊びでも、「ご奉公の誠」、「将来の覚悟」をもとめられています。

では小学6年生の国史の授業を見てみましょう。
登志夫の日記より。


「3月3日 今日はひな祭りだ。帰ってから白酒を飲んだり豆入りを食べたりした。国史、戦国時代と北条氏康を帳面に書いた。」
「7月9日 国史をやった。今朝は大石良雄のことだ。面白い。浅野長矩が吉良義央を切ってから、大石良雄以下47人の忠義の武士が討ち入りの準備をするまでだ。ゆかいだ。僕は吉良義央は意地悪だから嫌いだ。大石良雄のような人が好きだ。帰ってから読み方と地理と国史をした。」

夏休みのノートの国史の問題
1 後光明天皇はどのようなお方であらせられたか。
登志夫の答え「げんかくで、面白いお方。」
2 徳川光圀が国史を著はしたのは何のためか
「日本の国体を人々によく考え、わからせるため。」
3  光圀の著した書物はなんですか
 「大日本史」
4 秀吉の勤王について書きなさい
 イ「御料を決めた」
 ロ「じゅらくだいなどを作った」
 ハ「日本を天皇に代わって治めた」
その他、ジェンナー、円山応挙、楠木正成、迷信の話など結構面白く聞いています。
5年生からは国史のほかに地理と珠算がふえています。
地理の時間には本土の他の統治国の勉強が加わります。
6年生の登志夫の日記より樺太のこと。
「5月12日 5時間目僕ら第7分団で、心血を注いで調べた樺太の産業を僕が発表した。ツンドラの話、トナカイの大切なこと、洋紙、パルプの事など詳しく話した。そのようにすると自然によくわかるような気がする。後で製紙の発達した理由、川と石炭の関係など、よく調べた方が良いと先生から注意を受けた。この次には充分けんきゅうしようと思う。」
台湾について。
こちらは昭和11年、俳優の加藤精一さんからの絵はがき。「(台湾)パイワン族ライ社頭目の住居。軒下に種々の彫刻がしてあります。これで蕃人間の階級を表しているのだそうです。」と説明があります。明治から日本に統治されていた台湾の先住民族です。日本で売り出された絵葉書のようです。
登志夫の日記より朝鮮のこと。
「6月7日 朝、朝鮮の地勢図を書いて、区域、地勢を調べた。後で庭に出たらヒキガエルが1匹いたので、お父さんと一緒に捕まえ、網に入れて木の葉など入れてやった。」
昭和11年発行の「少年国史絵画館」(少年倶楽部付録)   我が陸戦隊になつく南洋の島民。
説明文には「大正3年わが国はドイツと国交を絶ち、天皇は宣戦の大詔を発したもうた。我が海軍はドイツ領の南洋諸島に進んでこれを占領した。日本の軍隊は戦争には強いが、決して乱暴なことや残酷な事はせず、正しい人の道を踏んで住民に対したから、島民も我が将兵によくなついて、このように、占領地とは思われないなごやかな光景がよく見うけられた。戦争の結果この諸島は日本の委任統治領となり、今島民は厚き皇恩に浴し、幸福に暮らしている。」と書かれています。
5年生の日記には「お風呂へ入る前に、全世界地図を見ないで書いてみた。」とあります。地理が大好きだったようです。

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)