切抜帳10より①(1976-1977)/食べ物・カエル
1976-1977(昭和51-52)年、登志夫が51-52歳の切抜帳です。
1976年11月号「暮しの設計」(中央公論)に、懐かしい逗子の家。内装は、後に主に良子の工夫でがらりと変わりましたので、子供たちにはこの内装が子供時代の思い出として残っています。実際、このカウンターで食事をしたことはあまりありませんでした。
壁についた黒電話、ガス炊飯器、流し台の分かれ目のところに貼った銀のテープまで、懐かしく、家の匂いまで思い出されます。
こちらは、「ミセス愛蔵版6」に、登志夫の好きだった新橋の「梅の木」のこと。
こちらは「ミセス愛蔵版7」に、「私のつくる自慢料理」として、珍しく金目鯛と黒むつの寄せ鍋というメニューで登場。鍋を披露したのは、ほとんどこの時だけではないかと思うのですが、なくなった時、月刊文藝春秋の蓋棺録に、「冬は鍋が好きで、小料理屋でおぼえた鍋を河竹風にアレンジしてふるまった」と書いてあったのは、これを資料として見たからだったのでしょうか?それにしてもおいしそうです。
こりらも「JAF NEWS」に、「わが家の自慢料理」、カツオのたたきや金目鯛の刺身です。先日、8月8日のblogに紹介した土井勝料理教室で教えてもらった料理を早速披露しています。
「週刊文春」にカエルの話。だんだんカエル好きのこともでも取材を受けるようになりますが、これはそのハシリでしょうか。この写真の右上にかかっているのは、この話の中にも出てくるお隣に住んでいた横尾忠則さんの作品。登志夫の背後にうつっているコルゲンコーワのケロヨンは、野口達二さんからの贈り物。最後のところはただのろけているのか、良子の機嫌をとっているのか。
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