月刊文藝春秋の蓋棺録

月刊文藝春秋の蓋棺録にも掲載していただきました。この記事は多分、あまり知らない方が調べて書いてくださったようで、少しズレており、ちょっと面白かったです。
まず、写真が料理屋の割烹着。これは1997年に文春さんが「日本の顔」欄で平岩弓枝氏を掲載した際、登志夫の家の台所で一緒に撮影したものでした。葉山の寿司屋、故・大繁さんが作ってくれた割烹着を、洒落っ気で着たもの。
そして、記事には「玄人はだしの料理研究家としても知られた」とあります。これはちょっと言い過ぎでは(笑)?
さらに、最後に「冬は鍋が好きで小料理屋で食べた鍋を河竹風に味付けしてふるまった」としめくくられています。きっとどこかの雑誌に1、2度出た鍋なのでしょう。娘たちの記憶にないですが、どんな鍋だったのか?

ちなみに、この写真の初出はこちら。いまは懐かしい逗子の家の台所です。
ついでにこの日のメニュー。雑誌の取材がきたからというわけではなく、お客様がわざわざ逗子の山の上まで来てくださるんだからと、こういう時は出し惜しみしない夫婦でした。子供たちはおこぼれがもらえるのが楽しみでした。宴はいつも、子供が寝る時間まで続き、階下からドッと笑う声が絶えず響いて、何がそんなにおかしいんだろうとつられて笑ったものでした。
登志夫が原稿用紙の裏にさっと書いたメニューには逍遙や糸女の名もあり、ちょっとした話のタネも盛りこまれています。

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)