登志夫最後の年
歌舞伎座新装開場に合わせ、メディアでたくさんの歌舞伎企画があり、登志夫はずいぶん取材や、原稿の依頼を受けました。取材は、理事長をしていた都民劇場さんの理事長室を使わせてもらうことが多かったですが、最後のNHK出演となった黙阿弥歿後120年の番組のときには、体も弱っていたので、自宅マンションの共用最上階で収録しました。向こうに大きくスカイツリーが見え、下町を生き生き描いた黙阿弥の話をするにはピッタリの背景になりました。生涯で何百回と話した黙阿弥の話を、カメラの前でいつものように理路整然と話しました。
このほか、東大出版会からの改訂版「新版 歌舞伎」に補章を書き足し、あとがきの項は、娘が清書したり、妻が口述筆記のように書いたりして、ベッドの上で校正したり手を入れたりし、4月の発行にこぎつけました。愛着のあるこの本の出版はとても嬉しそうでした。歌舞伎についてまとまったものを書くのはこれで最後、という気持ちで出した本でした。
写真は、2013年に掲載されたものの一部です。
最後の国立劇場の筋書の欄外には、「去る5月6日に河竹登志夫さんがご逝去されました。長年にわたり国立劇場の歌舞伎鑑賞教室において監修の労をおとりいただきましたことに深く感謝し、謹んでご冥福をお祈り申し上げます」と書かれています。国立劇場さんとも、歌舞伎座さんとも、演劇界さんとも、各新聞社さんとも本当に長いお付き合いでした。
最後まで悠々自適とは無縁で、現役だったことは、本望だったことでしょう。入院後か前かは忘れましたが、
「黙阿弥歿後120年も、歌舞伎座新開場も済んで、まあ、これでいいだろう」
とつぶやいていたのが思い出されます。
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