28Mar2022切抜帳Ⅳより/「近代日本演劇の足跡」(連載)こちらは昭和42(1967)年「赤旗」に連載したもの。連載の①④⑤⑩を受け持っています。共同での連載だったようです。翌年が「明治百年」記念ということで企画されたものでした。1回目が登志夫の担当、「新劇運動への先駆」として川上音二郎の壮士芝居。旗揚げの「板垣君遭難実記」について、「...
23Mar2022戦争のこと/「陸つづきの恐怖」第三次世界大戦先日からのロシアのウクライナ侵攻の報道に、河竹登志夫の随筆集『酒は道づれ』(1983年・南窓社)に収録の「娘と私のウィーン日記」の中のひとつ「陸つづきの恐怖」を思い出しました。もともとは、1979年春にサンケイ新聞に連載したものです。登志夫は1978年9月から翌年3月まで小学生の...
17Mar2022繁俊と国立劇場③戦後/昭和40年から歿年昭和38年から39年にかけ登志夫は、41年6月に国会で審議される「国立劇場上演候補演目案」のために、上演すべきもの、上演可能な演目全てを一覧表に作り、若い人にも分担してもらい、それぞれについての基礎的な資料を付けて提出しました。当時の事ですから全て手書きで、オリジナルはまだ家のど...
11Mar2022繁俊と国立劇場②戦後/昭和22年~39年さて、時代は戦後に移ります。昭和22年、~登志夫著「作者の家」による~「先の建議の時に熱心に賛成した片山哲が首相となった。片山はラジオの施政方針演説の中で、国立劇場の実現を力説した。中村吉蔵はすでになかったので、父が中心になって再び文部省や、GHQとの打ち合わせが始まった。」~繁...
06Mar2022繁俊と国立劇場①戦前前回、登志夫の切抜帳から、開場のときの登志夫の寄稿を上げましたが、国立劇場にもっとかかわったのは繁俊でした。昭和42年に亡くなった繁俊が、自身の著作とは別に、最晩年に最も力を注いだのがこの劇場でした。国立劇場と繁俊との関係については登志夫も「作者の家」で書いていますので引用します...