31Aug2020逍遙の見た、黙阿弥の本読「本読」を得意とする作者はもちろん黙阿弥以前にもたくさんいて、愛好者の前で、鳴り物入りで会を催すこともあったそうです。黙阿弥も、親しかったお大尽、津藤香以の希望でそのような会をしたことがありましたが、鳴り物入りではなかったということです。さて、繁俊の「歌舞伎講和」から、坪内逍遙が...
28Aug2020黙阿弥の時代の本読(ほんよみ)前々回、繁俊の活弁について紹介しましたが、それは、師の逍遙による朗読上手を見て聞いて、崇拝していたので、それを手本にしました。その逍遙は、黙阿弥の「本読」を聞いたことがあり、それを高く評価していました。逍遙の朗読も、「本読上手」と言われた黙阿弥の本読の影響があっただろうと思われま...
24Aug2020終戦75年。うちの投砂弾登志夫が保存していた投砂弾と書かれた円形の物体。空襲で燃えたら、これを投げて消火する、ということらしいです。振るとカラカラ、と何かが動く音がします。消火用の砂でしょう。
20Aug2020繁俊・登志夫、親子の「野鴨」前回、加藤剛さんが、繁俊が大隈講堂で「野鴨」の活弁をしたのを見て、大変感動した、というお話を書きましたが、「野鴨」については、登志夫も同じことをしていたようです。登志夫の著書、とくに随筆は何度も読んでいますが、内容をすべて覚えているわけではありませんし、雑誌などに初掲載された時に...
17Aug2020加藤剛さん③繁俊は、昭和35年3月に70歳で定年退職しました。登志夫が早大文学部で教え始めたのは、昭和30年、非常勤講師として、「演劇概論」(一文・二文)などを担当しました。31年には、専任講師となりますが、その翌年32年の夏から、アメリカハーバード大学エンチン研究所に招かれて渡米し、早大に...
14Aug2020加藤剛さん②加藤剛さんは、早稲田の演劇科卒業生でした。登志夫のエッセイ集「幕間のひととき」にちょっとだけ加藤さんのお名前が。このエッセイは、1975年9月、早稲田文学部報に掲載された「はじめてみた芝居」という短いエッセイです。早稲田の刊行物に書いたものなので、早稲田の大隈講堂で見た芝居の話や...
10Aug2020加藤剛さん①逗子の家でくつろぐ加藤剛さんと登志夫。こうして並ぶと、加藤剛さんはやはり、舞台俳優として輝くにふさわしい秀でた容貌です。登志夫は、メガネに光が写り込んだり、分が悪いと言えます。これは、ご夫婦で遊びにいらした時の写真です。
04Aug2020繁俊の面白い「歌舞伎講話」①繁俊が書いた「歌舞伎講話」(昭和22年発行)は、とても面白い本です。戦後間もない頃の粗悪な紙に、ペラペラの表紙ですが、これが案外軽くて、読んでいて疲れないという良さもあります。