切抜帳32より⑦/世界無形文化遺産ほか
2001年3月、無形文化財の保存を検討する国際会議がユネスコなどの主催で開かれ、登志夫も出席し、初日には「古典芸能の継承」という基調講演を行いました。
2003年に「無形文化遺産条約」が正式に採択され、日本では最初に能楽、そして歌舞伎は2005年に登録されましたので、それに先駆けての国際会議でした。
こちらは2月14日読売新聞、国際会議開催のニュース。
こちらは3月22日の同紙、「国際会議に参加して」を寄稿。
2000年3月刊「かながわの民俗芸能」神奈川民俗芸能保存協会創立三十周年記念号に「偉大なる先達、永田衡吉先生」を寄稿。早稲田で繁俊とともに逍遙門下で、東大で美術史も学び、民俗学を研究し、さらに六代目菊五郎らに戯曲も書くというすごい先達とのエピソード。
こちらは2000年10月22日毎日新聞「この人・この3冊」という欄に水落潔氏が書いてくださった記事。「河竹登志夫歌舞伎論集」「比較演劇学」「作者の家」の三冊を挙げて、登志夫の人間性についてもうまく表現していただいています。
こちらは2001年「演劇界」臨時増刊「歌舞伎の20世紀」に、登志夫の文章からの引用。1901年の出来事として、糸女の『弁天小僧』著作権裁判。
同誌、1960年の出来事として、戦後初のアメリカ公演。
2001年2月27日神奈川新聞ほかに繁俊の頃から旧知の民俗芸能学者本田安次氏の追悼文。最後のうどんの思い出がありがたい。
2001年4月、都民劇場創立55周年の「都民劇場」の冊子に、理事長就任のあいさつ。
同年5月前進座創立70周年を祝う集いの模様。
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