切抜帳31より⑥/その他
1998年12月9日の、お茶の水ロータリークラブでの講演録。「歌舞伎雑学・あらかると」として、日常で使われている歌舞伎から由来する言葉のことや、気楽に楽しむための雑学を話しています。
1999年、大空社から出た「明治期シェイクスピア翻訳文学書全集」の推薦文。全部で45巻にもなる全集だったようで、坪内逍遙はじめたくさんの文学者の翻訳。
3月20日東京新聞。軽井沢の学校の施設に能舞台が作られ、その鏡板の絵をコンペで選んだという記事。登志夫も審査員のひとりとして名前をコメントが。この施設、今もあって、最優秀作が使われています。審査している様子の写真、左側の着物の方の後ろが登志夫。
6月、日本演劇協会会報。三期目の会長に選ばれてのご挨拶。
演劇界7月号に著書「河竹登志夫歌舞伎論集」の広告です。
3月に開かれたアマチュア演劇連盟第37回大会で特別記念講座「古典と現代」。
「演劇界」2000年1月号「わたしの歌舞伎讃歌」という特集に「二十世紀、そして新世界へ」。
3月12日信州日報。「検証20世紀の下伊那」という連載の1960年の項目に、繁俊のこと。「河竹博士、飯田名誉市民に」というタイトルです。日夏耿之介氏に次いで、二人目とのこと。繁俊の履歴やふるさと飯田との関係について記されています。珍しく眼鏡なしでの写真です。
4月号NHK教育テレビ「日本の伝統芸能・鑑賞入門」のテキストに「未来へ伝える原動力に」寄稿。
ちょっとさかのぼって、1999年6月、西日本新聞。博多座のこけら落としが行われました。人力車に乗っているのはなんと登志夫の妻・良子。観光客として写真を撮られて大きく掲載されました。
2000年発行の「うつくしい着物」誌に載った「お茶席のきもの拝見」というページ。真ん中のテープカットに登志夫が混ざっています。1999年10月に軽井沢の南が丘倶楽部の施設に復元された茶室開き。上から3つ目の東京新聞掲載の能舞台があるのと同じ施設です。
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