切抜帳30より③/エッセイ
1997年6月「日本語教育通信」に「英語と私」。登志夫は自分の手帳やメモにも、ちょくちょく英語を混ぜていました。日本ばかりでなく、世界の中での歌舞伎や演劇を見なくてはいけないという考えでしたから、いつも英語力も鈍らないようにしていたように思えます。
放送文化基金の媒体「わ」にエッセイ。1996年10月「消えた飛行船」。ウェブで調べてみると、日本航空の子会社が飛ばしていた飛行船はこの年1996年に終了、2002年に別の会社が広告と遊覧飛行に始めたが間もなく終了したようです。
同じく、翌年4月「黙阿弥のことば」。「三人吉三」の「縁起」の言い方については演者はそうとは知っていても、現代においてあまりにもはっきり「いんぎ」と言うと逆にどうなんだろう、という考えもあるようで、えんぎといんぎが混ざったような具合に言っているように聞こえます。
あとは、別のセリフですが、読み方の間違いを指摘されても、これまでそうしてきたから急に直すと調子が狂う、と間違い続けることを選んだ演者さんもいました。違うとわかったらやはり直す努力をしてもらえたらと思いますが…。
10月「浮き川竹の…」。名前の話。登志夫は竹を「竹藪の竹」と伝えるようにしたと書いていますが、私は「サンズイの河」と伝えたら、「三途の川ですか」と聞き返されました。
同じくその翌年1998年6月「水上の一夜」。戦後すぐの思い出のはなし。
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