藤谷浩二の急逝③
浩二が亡くなってから3か月、100日、と過ぎました。人のうわさも七十五日、こうして浩二の死は私(浩二の妻)と故人だけの、さらに濃密なものになっていくようです。ここだけ時間が止まったままです。まだ遺骨とはしばらく別れないつもりです。
12月には、故人の大学時代の登山サークルのお仲間が遠方からもたくさんいらっしゃり、楽しい思い出話や、私が救われるようなお話をきかせてくださいました。訃報を知った方からお花やお手紙を送っていただきましたし、朝日新聞の方も数人いらして、私のとりとめない長話に付き合ってくださいました。遺稿集を作ってくださる話があり、私も何か寄せさせていただこうとお願いしています。
ここ2日間は浩二の死から初めて睡眠薬無しで寝ました。仕事、家事、外出、友人とランチ、など少しずつ日常に戻るように努力していますが、仕事をしようと職場でPCに向ってみても、故人のことばかりが思い浮かび、心臓はドキドキ、頭は爆発しそうな状態になり、私は心臓麻痺で連れて行かれるのかな、と思う毎日です。大げさではなく、1時間、また1時間、とやっと生き延びてきたような感じです。相変わらず母や友人が泊まってくれますが、この頃は、ひとりでも大丈夫、と言えるようになりました。いい大人が情けないですが、先に逝った故人のほうがずっと楽だろうと思うほど、まだこの先長く一緒だと思っていた相手に突然去られることは、苦しいことでした。この辛さは「愛の代償」だとか。色々ポジティブな言葉を見つけてみても、死別を受け入れてあきらめる、ということがなかなかできません。
浩二は亡くなる直前まで劇場に通っていました。半券を読書の時に栞代わりに挟んでいましたので、本の片付けをしていると古いチケットが出てきます。何を見ても聞いても、胸が締め付けられるように苦しくなり、故人の部屋の整理など、まだまだ先になりそうです。(み)
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