藤谷浩二の急逝②

10月12日に急逝し、16日に家族葬を営み、それから一か月以上がたち、多くの方からお悔やみの言葉をいただきました。

中村吉右衛門さんの奥様には、半月前、お電話で長いこと励ましていただきました。昨年吉右衛門さんがお亡くなりになったときには、浩二は舞台でのお姿や取材の時のお人柄を思い出しながら、涙ながらに追悼記事を書いたものでした。

奥様のお言葉の一つ一つが心にしみ、こういうときのお心遣いは、ずっと忘れないだろうな、と思いました。朝日新聞のOBの山本健一氏からの優しいお手紙など、故人を御存知だった方々の、惜しんでくださるお言葉に出会うと、どうしてもめそめそしてしまいます。

こんなことでは、故人の魂がさぞ心配することでしょう。死後の魂の存在は信じていませんでしたが、父の登志夫が死んでから、より身近にその存在を感じたように、夫のこともこれからきっと、これまで以上に理解することになるだろうと思います。もっとこうしたかった、こうするはずだった、と嘆くよりも、共に過ごした温かいたくさんの思い出に感謝していかなくては。とは思いつつ、心臓が止まるんじゃないかと思いながら一日をやっと過ごしています。


急逝をお知らせする手段として、正しい使い方ではないと分っていながら、本人が使っていた名前でFacebookにも投稿させていただきました。ここ2年は投稿もしていませんでしたし、Facebook上の「お友達」が多くなかったのですが、たくさんのコメントを寄せていただき、今月末の四九日が過ぎたら、大学の山登りサークル「山の子」のお仲間が大勢でお線香をあげに来て下さることになりました(家は狭いしコロナもあるので、2日にわけて…)。


1週間前には、朝日新聞社の故人のデスクの荷物を片付けてきました。初めて見る職場のデスクには、うち用にも買ってきた、うちの飼い猫に似た猫のポストカードや、可愛いがっていた犬の写真、好きだった自転車の写真などがありました。故人が昔からの仲良しの同僚の方にご協力いただき、なんとか荷造りをし、一緒にうちまで来ていただき、長いこと励ましていただきました。
こうして、故人のこれまでの人生の最後の後片付けをすることが押し寄せます。

浩二の撮ったうちの猫です。
(み)

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演劇研究家・河竹登志夫(1924-2013)、登志夫の父・河竹繁俊(1889-1967)、曽祖父の河竹黙阿弥(1816-1893)     江戸から平成に続いた河竹家三人を紹介するサイトです。(http//www.kawatake.online) (※登志夫の著作権は、日本文藝家協会に全面委託しています。写真・画像等の無断転載はご遠慮願います。)