河竹家と震災⑪焼け残ったもの③五十の浪の浴衣
この浴衣は、繁俊が庭に移しておいた箪笥にあったもの。明治17(1884)年に、黙阿弥が父の50年忌の配り物とした浴衣地を、糸女が繁俊のために仕立てておいたものです。黙阿弥の親友の絵師柴田是真の描いたものです。
これは、繁俊が長く住んだ成城の家で撮影したもの。昭和40年代はじめなので白黒写真です。繁俊は、この頃の人としては長身で174センチありましたから、浴衣も丈長です。
この柄については、これまでも書いてきましたが、ここぞという著書には、この「五十の浪」の柄で装幀をしてきました。
繁俊が養嗣子に入って最初の著書で使ったのが大正3年。もし、この浴衣が焼けていたら、この著書の面積分の柄しか残らなかったことになります。このあとも、この柄は、繁俊最晩年の著書「黙阿弥の手紙・日記・報条など」で使われています。登志夫も、「黙阿弥」でこの柄を使いました。
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